佛道をならふといふは、自己をならふなり 自己をならふというは、自己をわするるなり 曹洞宗 三峰山 永昌庵
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永昌庵へようこそ

南魚沼市東泉田に構える「曹洞宗 三峰山 永昌庵」です。

霊園や永代供養のご相談、法事・法要、各種供養などを受け付けております。

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思いつきの一言

「断捨離について⑵」
曰く、不要な物を捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的らしいのですが…… 「物を捨てる事」は「物の執着を離れる」事ではありません。物を不必要に捨てる事もまた「物に執着」をしている事に変わりありません。 何故なら、捨てることで身軽になろうとするのも、集めることで満足するのも、どちらも「自己の快楽の為」であり、どちらも執着を強めるという点では、全く変わりが無いからです。
「断捨離について⑴」
最近「わたしも断捨離をして、禅の修行をしている」という方がいらっしゃいます。 ……ただ、正確に言えば「断捨離」は禅の修行とは全く異なります。 まず、断捨離とはどんな考えなのでしょう? 「断捨離」とは「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心をヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し 「断」入ってくるいらない物を断つ。 「捨」家にずっとあるいらない物を捨てる。 「離」物への執着から離れる。 ……という、山下英子氏に登録商標された「造語」なのです。
「憑器物供養(つきものくよう)について」
「憑器物供養(つきものくよう)という、法要を始めさせて頂きました……と言うのも、最近「先祖代々大切にしてきたものを捨ててしまうのに抵抗がある」というご相談があったり「断捨離」という言葉に影響され、捨てる必要の無い物まで捨てる人が増えてきてしまったからです。「断捨離」は本来、仏教の教えではなく、どちらかと言えば『個人が考えた新興の思想』……といったものです(その辺りのことは、後にご説明させて頂きます) ……ただ、物を捨てぬ、という訳にはまいりませんので、物の「命」を終える前に御供養をさせて頂きたいと考え「憑器物供養」という法要を行わせていただく事に相成りました。こちらの御供養はあくまで私の創作ですので、お布施を頂こうとは考えておりません、お気軽にご連絡ください。
「ご挨拶」
住職の吉田眞丈です。宜しくお願い致します。ご相談受け付けております、お気軽にお問い合わせください。
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住職 吉田 眞丈